もう知っている人もいるかもしれませんが、12月からみかんに偏食しました。
20年間続けてきた普通の食生活をやめ、心機一転、新しい生活を送っています。
前食に不満があったわけではありません。
音楽性の違いというか、自分の中で違和感があったので、ちょうどいいかなと。
偏食に至った経緯ですが、1つのことに全力を注ぎたいという思いが強くなったのが主な理由です。
今後は柑橘類の特徴を活かし、青物や果樹によるビジネスモデルを考慮しつつバリバリ食べていきたいと思います。
今回はそんな新しい環境での日々を、写真を添えて、
インターネットについてのためになるコラムと共に報告したいと思います。
もくじ
12/1 かわいいとねこ
12/2 インターネットとTumblr
12/3 メディアと初音ミク
12/4 人間とインターネット
12/5 インターネットとテレビ
12/6 インターネットとコンテンツ
12/7 UIとUX
12/8 Makeとものづくり
12/9 デザインと気持ち
12/10 応援と消費
12/11 表現と発信
12/12 意見と作者の気持ち
12/13 引用と名言
12/14 文化とブランド
12/15 スマートフォンと孤独
12/16 視座と視点
12/17 選挙と戦争
12/1 かわいいとねこ
インターネットを見ていると、「かわいい = ねこ」と認識している人間がひじょうに多い。とにかく好意の記号として扱われている。そういう世論がある中ほんとうにすまないのだが、猫はうんちをするし、庭にうんちをされると、とてもかなしいきもちになる。ねこだって吐瀉物や糞尿を撒き散らすという現実を受け止めた上で「ねこ = かわいい」と言ってほしい。これは他のことにも言えることで、「ねこ = かわいい」のような表現方法を使うのはまあよいのだが、ねこだって汚物をまき散らすし、ときには君の顔面にうんちをぶつけたりもするという点も受け止めた上で「ねこ = かわいい」と言ってほしい。綺麗事だけ叫ぶな。ひどく幼稚だ。スマートフォンで誰でも簡単に発信ができるようになってしまった時代、解釈が解釈として認識されないまま飛び交うようになってしまった時代、もう一度ねこについて考えなおすべきだ。その点みかんはビタミンCが豊富で、みかん2個で大人の1日分が補充できるといわれている。みかんを2つ――まるでハムスターのように頬を膨らませて――口に含むだけで、一人前になれるということに他ならない。偏食してよかった。
12/2 インターネットとTumblr
世の中にはいろんな人がいる。いろんな人がいるということは、お互いの認識の差(=ズレ)を擦り合わせる作業をやらなくちゃいけないということだ。「技術」と言えばAさんはプログラミングのことを思い浮かべ、Bさんは抽象的な「技術」、つまりテクニック全般のことを考えるかもしれない。その摺り合わせ作業を行わない限り、コミュニケーションのすれ違いはどこまでも進んでいく。何の話かって?インターネットだよ。原初のネットは研究者同士の連絡ツールで、英語しか使えなかった。そこではユーザーも特徴的だったし、文脈も共有され、また文脈を共有することに熱心な空間になっていたから何も問題なかった。でも日本人研究者はネットで「飯食いにいかね?」とかそういうくだらない会話を日本語でしたかった。だから開発に燃えて、実際にできるようにした。そういう歴史が存在する。ネットってけっこう難しい。コミュニケーションがどこまで共有しているのかわからないのが「心地良い」と感じるひきこもりたちのメッカから、ふつうの人がまっとうなコミュニケーションをしようとする空間に変容したインターネット。前と比べりゃ生きづらいと言うかもしれないけれど、使う人が変われば道具はその性質を変えるのが当たり前。インターネットが文字メディアにぜんぜん適していないっていうよりは(そんなこと言ったらふつうの会話だって無理ゲーっぽい、コミュニケーションやめろ)、今のネットとその周りのインフラとハードウェアの普及が、あまりにも言葉に対し親和性が高すぎて、高すぎてしまって、暴走しやすいって感じじゃないかな。そう考えるとTumblrが心地良い。何も考えずに良いと思ったものを共有できるし、そこには文脈がない。メッセージもない。飛び交うコンテンツはそれ自身に終結するようにパッケージングされていて、前後の文脈も、時間も、何もかもが薄まっている。コンテンツに集中できる空間だ。限界まで消費できる。もちろんそれはサービスの設計からもたらされたものではなく、ユーザーたちの文化によるものだ。いいかげんなんでもかんでもアーキテクチャとか言うのやめなさい。Tumblrでは、ユーザーの使用感としては「発信も表現も必要ない」ように感じれる。これは意外とすごいことなんだよな。ツイッターは「発信」よりで、ブログは「表現」。表現するほど頑張れない人が発信に行き、発信に疲れた人は…Tumblr。でもみかんならビタミンA、Pを含んでいるし、温州みかん系に多いクリプトキサンチンはガンの抑制力が強いとガン学会での報告もある。偏食してよかった。
12/3 メディアと初音ミク
なんやかんやでみんな「おもしろいことをやりたい」っていう欲望が薄くなってしまったんじゃないのかなーということを確信している。だるくない感じで、適度に自分の週間とか生活圏からはみ出さず、手頃にちょっと暇潰せる、みたいなその程度の欲望しかないんじゃないかなと思う。昨日「発信と表現」について考えたけど、コンテンツを受動的にメディアを通して摂取し続ける環境(初音ミクを消費する目的って結局ニコニコ動画というメディアを”する”ということでしょ)が最初から揃ってた世代は、もはや「表現する」ということを、先人から学ぶことができないと思う。圧倒的なクオリティのコンテンツを持ってくるか、IDという連続性の元ブランドを確立するかのどちらかしか学ぶことができない。「ゴミみたいなコンテンツをなんとか食えるようにする」という経験を学ぶ場所が無い。もちろんニコ動にアップして最初は再生数10から始まってそこからうんぬん、確かにそのサクセス・ストーリーから少年ジャンプよろしく成長するのかもしれないけど、待てよ、動画だぜ?動画とか完全にパッケージングされてるしザッと見で判断するつまみ食いとかできない。完全な実力勝負の表現媒体だよ。しかももっとおもしろい動画が隣に置いてある。シビアだと思う。話が逸れた。初音ミクのCDがWonderGOOとかで売れまくっている事実は、実はこういうコンテンツに対する消費の姿勢の変化にすごい影響があるんだと思う。購入というのはかなり能動的にコンテンツを求めて消費するという感じだし、昔は当たり前だった「能動的に対価を払って購入すること」がインターネット世代にはすごく新鮮なことなんだと思う。だっておもしろいものは無料で自分の前に流れてくるから1つのものに執着するなんてことはあんまりしない。初音ミクに執着してるって?アレは「初音ミクなら1から10まで読まなくてもなんとなくわかるから安心してクリックできる」というだけだろ。ブランドでありツールなんだよ初音ミクは。キャラクター?今初音ミクがキャラクターとか言うのは周回遅れの総括をしたいアートとかだけじゃないですかね。じゃあ初音ミクに惹かれるのは何故かって?「初音ミクちゃんかわいい!」じゃないんだよ。原動力は単なるキャラクター萌えじゃない。初音ミクを見て感じる衝動は「俺たちつながってる気がする」「初音ミクを介して連帯している気がする」っていう『つながり感』なんだよ。2ちゃんねるは四人称である「おまえら」を生んだけど、初音ミクは明確に「おれたち」を生んだ。『ネット(むしろここではニコニコ動画)』と『初音ミク』の両方が好きな人間が「つながっている気がする」。そういった感情を醸成させるのが初音ミクという装置だ。初音ミクはメディアといってもいいだろう。「ハジメテノオト」はキャラクター性を成り立たせるものではなく、今ではもはや宗教的情動、ロマンを引き起こすためのトリガーとなっている。メディアで生まれた初音ミクはそのメディア自体を呑み込み、自らがメディアと化したのだ。またみかんには繊維も多く腸内の浄化力があり、直腸ガン等になりにくくしてくれる。繊維は、ビタミンAやPと一緒に存在することにより、その効力を高めるんだよ。ビタミンPには血管壁を丈夫にする働きがあるしね。偏食してよかった。
12/4 人間とインターネット
インターネットをし続けると必然的に人間の糞不味いところを食わされる羽目になるし、だからといって現実に生き続けているともちろん現実逃避したくなる。逃げ場がない。じゃあどうしたらいいか?その中間をとって、現実とインターネットをつないでやればいいってことになる。月並みだけど、インターネットのために、インターネットに影響を受けて、現実で何か行動するということだ。「リナカフェなう」は、インターネットに動かされて現実世界でその場所にいって楽しむ感じだったし、なんだかんだ言ってそういうのがみんな楽しいんだと思う。リアルとネットのおいしいところだけを両方いっぺんに食べれて、ほどよい快感を得られるし。そもそもツイッターは「今何してる?」に対する答えを書き込む場所だったし、ブログ文化は「今日こんなことがありました」を書くものだ。ずっと画面だけ見てると話題が無い。そうなるとネットに上がった記事に対してツッコむことしかできなくなって、あんまりおもしろいわけじゃないけど他人に悪意をぶつけるのにスリルと興奮とナルシシズムを感じる人間が膨れ上がっていく。悲しいですね。現実世界で何かをして、インターネットでそれを反映させるっていう、言ってみれば能動的な、クリエイター的な、観客で”ない”感じの、そういう遊びかたがなんやかんやで楽しくなっちゃうんだよというのを学ぶ経験が無いと、ニコ生とかに馴染めない子はどんどんツッコミ野郎になっていくと思う。そうなるとたぶんみんな延々と糞不味いところ嫌な顔して食い続けるままだと思う。ただこの楽しさをくれる素晴らしいアプリがあることをご存知だろうか。「リナカフェなう」は、今ではInstagramになりました。ここで強調しておきたいのは、みかんを食べると風邪をひかないと言われているところ。これはシネフィリンが含まれているからだ。このシネフィリンは温州みかん系特有の成分で、オレンジ等には極めて少ないそう。偏食して良かった。
12/5 インターネットとテレビ
最近のインターネット、まるでテレビみたいだと思った。一昔前、テレビとインターネットを比較して「テレビなんかよりもインターネットの方がいいよ!なんてったって、自分で好きな情報を見に行けるし、自分も情報を投げ込むことができるんだ!」「もうメディアからの情報をただ受動的に受け取る時代は終わった!これからはインターネットの時代だ!」って言ってた人多いよね。でもさあ、今のインターネットって、まるでテレビみたいだよね。自分で好きな情報を見に行けるのに、誰かがユーザーストリーム上に流したURLしか見に行かない。だってめんどくさいから。その上、「暇だから」「とりあえず」だらだらと情報が流しっぱなしになっているユーザーストリームを見続けてる。だってめんどくさいから。動画とかユーザーストリームとかってテレビ化の象徴だよね。それが一番ラクだし楽しいからいいんだけど、みんながみんなそういう態度だとつまんないよね。ただみかんの栄養素は特に皮に多く含まれていて、ビタミンCは実の3倍、血管中のコレステロールを取り除くテレビン油も含まれてる。偏食して良かった。
12/6 インターネットとコンテンツ
テレビ、「適当につけてもお粗末な映像クオリティのコンテンツは出ないしBGMとして信頼できる」みたいな認識で消費されてる。一方ネットは昔から「お粗末なものが多く、光るものは自分で探さなきゃいけない」「原石を見つけよう」「みんなでおもしろくしよう」みたいな感じにあった。つまりネットは「コンテクストを読み込んだり共有することによってお粗末なものをなんとか見れるようにする」っていう「能動的な読み」が行われていたんだよね。半年ROMれとか。そういうネットに慣れると「読み込まなくても誰でもある程度楽しめる、意識を使わなくてもいいコンテンツ」になってしまうテレビはつまらなく感じると思う。ついていこうとする意志がないと楽しめなかったのがネットで、ついていこうとしなくても勝手にやってきてそれっぽいものを流して去っていくのがテレビ。ネットよりもテレビおもしろくないって言ってる人は、小学校の算数の教科書を延々見せられてる気分になってるんじゃないかな。ここまで聞くといつものアレだけど、言いたいことはここから。今ネットはどうなってるかっていうと、テレビ化してる。ライフハック系でもなんでもいいけど、とにかく「◯◯編集部」みたいなちゃんとお金もらって記事書いたりコンテンツ作ったりしてるプロのメディアが、「パッと見でおもしろいもの」「ネットを知らなくてもおもしろいと思えるもの」みたいなものをどんどん作っていて、(それに彼らはプロだ、素人がそれに勝つのは難しい)そういうものが拡散するようなインフラに私たちは浸かっている。「◯◯の法則」とかクソだろーって言ってる人は、こういう風になってしまっているのを肌で感じていて、それに対して違和感を持っているんだと思うけど、残念。そういう人だって釣りタイトルとかライフハック記事は読んじゃいます。ただもういい加減インターネットについて語るときに「コンテンツガー」しか言えない人はちょっとねという感じもする。もう飽きたよいい加減。みんな自分がお金稼ぐことしか考えてないし。だけどみかんに含まれるビタミンPは、白い綿状の甘皮の部分に多く含まれている。だから、ミカンはできるだけ皮も食べるようにした方がいい。偏食してよかった。
12/7 UIとUX
UIという言葉について。UIとUXがごっちゃになっていたりするというのは大体の人はもうわかってきていて、とにかく流行りのことばに期待するのはやめた方がいいなということを学習した。「UI デザインは 3 秒で見てわかるように〜」とか言えるのは特定のサービスだから言えることで、他の全てに当てはまることじゃない。大体この言葉は大事な所がスッポ抜けてる。あのサービスは料理というすごいわかりやすいコンテクストがあるからこそ、ユーザーは「料理のサイトなんだな」っていうのが既にわかっている。これはデカい。「これは何をするサイトなんだ」っていうのがすごいわかりやすいから、ユーザーの想像の内側にあるものを価値として提供しているからこそ、 UI デザインっていうのを追求できる。衣食住以外のサービスはまず「これなんのサイトなの?」っていうのをユーザーにわからせないといけない。それは UI デザインだけの話じゃない。UI /UXデザインという言葉でもって技術的でないあらゆるデザインを包括するのはいかがなものかとずっと思っている。道具的な機能美だけを UI デザインと言うならば、それ以外のことも含めて UI /UXデザインということばを使わない方がいいと思う。ことばが腐る。そんなことはどうでもいい。コードを書いて作り上げるものではないものも、ユーザーに何かを伝えるための大事な要素だということがあまり語られていない。みんなエディタとターミナルと、「パソコンの画面の上」の話ばかりしている気がする。私はもっと「画面の外」の話がしたい。ソーシャルメディアがある以上「画面の外」を無視することはできない。みんなは経験的にやってるみたいだけど、明文化されるとすごく良いと思う。良いものが作られるのならばその手伝いをしたいということをいつも考えている。プログラムでなくてもオープンソースにしたいと思っている。こういう分野をやっている人がインターネットでもっと議論してくれるとひじょうに助かる。やはりみかんの皮を生で食べるのはちょっとつらいかもしれないので、みかん風呂にしたり、干して陳皮を作るのもいいだろう。干してしまうとビタミンは半分ほどになってしまうがご愛嬌だ。偏食してよかった。
12/8 Makeとものづくり
MakerFaireTokyo2012に参加してから、ずっと違和感がつきまとっていた。ことばの使われ方についてだ。私が気になってしまうのは、別に「変な使い方するなよー」ということではない。そんなことはどうでもいい。ことばの意味は変わっていくからだ。スルーできないのは、そのことばの使い方をしているとコミュニティに不利益が生まれたり、「なんだかうまくいかない」状況ができあがってしまう場合だ。「Make」「ものづくり」「DIY」「Fab」……。たくさんの言葉が使われている。使われているが、それぞれの言葉がどのような印象を生むかまで考えられていない気がしてならない。「Make」は『観られる』ことを想定した、エンターテイメント色の強いアートだと思う。オライリーによって出版される雑誌によって牽引されるという、メディア自体の影響が強い。ぶっちゃけて言うと「Make」は、雑誌に載せられるようなコンテンツ力がある作品とそのブランドのことを指す。一言で言うとオライリー。一方「ものづくり」は意味が広い。広すぎる。「Make」をも包括し、『部屋で1人猫背で楽しむ』ことや『職人芸』などなど、とにかくなんでもござれな意味を持つ。Make:をものづくりの祭典とするのはそもそもことばの意味の軋轢がヤバイ。これほどヤバイのに何故スルーされてきたかというと、コミュニティが内側に向いていたからだと思う。仲間内で伝わればいいという意識。「Maker」同志で思想を共有できればそれで良くて、非Makerを取り込もうという気は全くないような、そういう内向きにらせん状になっているコミュニティだったからだと思う。ただ一方でこの意味の軋轢は混合ともみることもできて、いいところもある。いいところもあるがわるいところもある。それを意識的に使い分ける必要があると思う。余談だが、「みんななにかの作り手だ」という一文を見たことがある。キッツイと思った。「Maker」はまだオライリーのブランドがあるからいいとして、「作り手」ということばはなんというか、日本語のストレートな名詞であるからこそ「お前らは何も産まないんだろ?」という意味が障壁無しに刺さってしまい、とても悲しくなる。なぜ「Make」や「Fab」が英語で、日本語の上では、そのまま動名詞のように使われているのか。これはもう少し考えられてもいいと思う。課題としては、オライリーのブランド以外のラインで、ブランドを作り上げられるかが大事なんだと思う。そうするといろんな人がコミュニティに興味を持ってくれるんじゃないかなと考えていた。キックスターターとかでイノベーションを起こしたい人たちに向けての具体的な提案としては、「Make」や「ものづくり」や「DIY」や「Fab」や「スタートアップ」ということばを使うとパッとしないから、自分たちで新しい動詞や動名詞を作った方がいいと思う。みかんの陳皮は漢方薬に用いられるくらいだから、陳皮はミキサーやすり鉢で粉末状にして、七味に混ぜたり、料理の香り付けに使うとよいと思う。偏食してよかった。
12/9 デザインと気持ち
UI/UX デザインの話のまとめ。意図した通りに感じてもらえるかが重要なわけで、目に見えるものだけをデザインしたいのではない。伝わり方の気持ちをデザインすることまで考えなくてはならない。カロリーは、みかん3個でご飯1杯分だ。ミカン2個でビタミンCは1日分。しかも風邪やガンの予防にもなるし、血行も良くなるし、便秘もなおる。偏食してよかった。
12/10 応援と消費
応援消費という言葉がある。作り手が持っているポリシーや、購入することでそれが作り手の側に「良いこと」として伝わるというようなことを考えて、購入などの行動に移るというものだ。「ひとりでコツコツ何かを作っている人がいて、今後も残っていてほしいから、そこの商品を買い続ける」「自分が好きなアニメだから、Blu-ray プレイヤーを持っていないのに Blu-ray ディスクを買う」みたいな。好きなアニメがあったら円盤買え!というのは、ここ数年でとても浸透したと思う。動画をアップロードして視聴できるような環境が揃ってしまって大打撃と思いきや、生活者の側が必死になって購入を呼びかける構図はアニメの最終回みたいでよかった。インターネットの話をすると、ブロガーが書いた記事がおもしろいと思ったらアドセンスをクリックするのが礼儀、という文化がアメリカにはあるらしい。確かにワンクリックで著者を応援できるなら手っ取り早い。広告1クリックで実はけっこうな額が入ったりするのだが、(おやつとか買える)、嫌儲というのがそれを邪魔する。邪魔するように見えるけど、ワンクリックするだけで(広告リンク先のページを視界に入れなくても)著者にお金が入るということはもっと知られてもいいかもしれない。自分のお財布はノーダメージなら特に気にしない。そういう文化ができるといいなと思う。昔から、「みかんが出回る頃になると医者は暇になる」と言われているほどだ。偏食してよかった。
12/11 表現と発信
百聞は一見に如かず。けれど千聞は一見に並び、万聞は一見を越える。場合にもよるが、これはなかなか正しいと思う。何かを考えて学ぶことができる人間と、考えることをせず、ただ時間をかけて運が良ければ気付くことができる、両者を前にして「経験こそ一番」とはなかなか言い難い。一方で、本当に重要なことは絶対に活字になっていないとも思う。それは人の口から口へと伝えられるものであって、そういう情報をたくさん持っている人こそがインテリジェンスだとも思う。みんながみんな思っていることを、ただ何も考えずにキーボードをガチャガチャと叩く「発信」でない、相手に伝えることを目的とした「表現」をするようになれば、ハリボテの情報社会論者の大好きな「最高のインターネット」になるのだろう。風邪に対する免疫力を高めるビタミンCと、温州みかんに多く含まれるシネフリンという物質、この両者が風邪に有効と言われている。偏食してよかった。
12/12 意見と作者の気持ち
科学的に正当性を主張しうる程度の社会調査や統計的検討をしたわけではないから、大体の主張なり指摘なり考察なりは、すべて誰かの主観的な「意見」にすぎない。大体こういう文系っぽい文章は「対象を前にいかにおもしろいことが言えるか」が勝負という所があるのだが、私自身あまりそれに興味がない。何かを作るときのヒントになるような、問題を解決するための道標になるようなものを考えたいという思いがある。こういうちょっとした「気付き」や「違和感」を拾い集めていくことが大事だと思っている。誰かがぼそっと言ったことも全て拾って、それってこういうことかな、とぼんやり考えるようにしている。Redmineを、長文を書いておく回覧板代わりに使っているのは私くらいだと思う。何文字くらいになるんだろう。なかでもビタミンCはいろいろな効果がある栄養素だ。風邪の予防だけでなく、血管を強くし、コレステロールの蓄積を防ぎ、善玉コレステロールを増加させ、血液の循環をよくする。これらの事が動脈硬化を予防する事になるのだ。偏食してよかった。
12/13 引用と名言
社会心理学の研究によると、人々はある考え方を公言するようになると、それまではそうした考え方を持っていなくても、その考え方に従って行動する傾向が際立って強くなるらしい。言葉は行動を生むみたいな名言をリブログするのが大好きなインターネットのみなさんは、名言をクオートしても特に行動を起こしたりもしないし、そもそも引用は公言とは異なる。それはあくまでも紹介でしかない。感慨深い名言が、紹介につぐ紹介にさらされてどうなるのか、はじめの頃は興味があったが、今ではもうどうでもいい。ただの読み物コンテンツになっただけだった。生産性とかタスク管理とかが大好きな口だけインターネット人間たちが、「これは時間の無駄じゃないんだ」と言っているかのように「まるでためになりそうな」ものを見て言い訳しているだけだった。でも、ビタミンCはとても壊れやすかった。ヘスペリジンがビタミンCを助けないと、その効果はじゅうにぶんに発揮されない。大丈夫。ヘスペリジンはみかんの白いスジに多く含まれている。偏食してよかった。
12/14 文化とブランド
新聞のインターフェースが使いづらい。机の上で広げてどっしり構えて読むという文化に最適化されているから、それ以外の場所、例えば電車の中とか布団の上とかでかなり読みづらい。だからといって小さいバージョンを作ればいいというわけでもなく(それは実際に挑戦されてあまりうまくいっていない)、新聞とそれのまわりの文化とブランドを再考しなければ、いくらがんばっても電書版もパッとしないんだろうなということを考えた。具体的にどうすればいいかということをしばらく悩んでいたところ、実際に新聞を作っている人とお話する機会ができたので、もう少し真剣に詰めてみようと思う。みかんはガンの予防に効果があるのだ。ベータ・クリプトキサンチンはみかんの色のもとになっている色素の種類で、みかん1個に1~2mg含まれており、オーラプテンは皮に含まれている。この2つの物質に強い発ガン抑制作用があることがわかっているそうだ。ベータ・カロチンより5倍も効力のあることが確認されている。偏食してよかった。
12/15 スマートフォンと孤独
”孤独ほどつきあいやすい友達には出会ったためしがない。われわれは自分の部屋にひき籠っているときよりも、そとでひとに立ちまじっているときのほうが、たいていはずっと孤独である。考えごとをしたり仕事をしたりするとき、ひとはどこにいようといつでもひとりである。孤独は、ある人間とその同胞とをへだてる距離などによっては測れない。”という名文があるが、スマートフォンとインターネットを手に入れてしまった私たちに孤独なんてあるのだろうか。いやもちろん現実として孤独は存在するかもしれないけれど、ツイッターに『いる』ときに孤独を感じるかといえばそうではない。ネットに意識を置いて身体を遠隔操作しているような気分になる。ひとりで買い物をしているときもスマートフォンの画面を見つめ続けていれば孤独を感じない。現実で起こったことをおもしろおかしく脚色してツイートし、その反応を見る。たぶんみんなそうやって毎日を過ごしているんだと思う。スマートフォンを持って外に出かけるなんて、外でもひきこもってるようなものだけれど、それでも孤独を感じない。たぶん良いことではない気がするけれど、これからこの類のものはどんどん増えていくんだろうと思う。みかんは風邪に対しての免疫力を高るのだ。偏食してよかった。
12/16 視座と視点
歴史とは解釈のことであり、どの視座で対象を見るか、どんな道具を使って対象を捉えるかによって決定される。何か事件が起きたらそれに対する言及をまとめたブログみたいなのが目立つ。とても便利で良いと思う。便利だけれど、愚直に自分の意見のようなものを書いたブログというのが少なくて悲しくなる。みんなライターを目指しているんだろうか。色の無い文章を読んでもあまりおもしろくない。それなら本を読む。どこの誰が書いたのかわからないインターネットの味気ないテキストを読むよりも、ある程度コンテンツ力に信頼がおけるものを読んだ方がおもしろい。だらだら見るにはパソコンが一番だけれども。皆が皆「情報」を書き出すようになってから一気につまらなくなった。情報なんて目指さなくていいと思う。その先になんの発展も祭りもないのではとも思う。みんな似たような視座で似たような道具を使って物を見るなんて、「いろんな視点の意見が見れていいね」「アマチュアこそ光るものがあるよね」と言われたインターネットからどんどん遠ざかっていく。言ってることとやってることとが違う。従来の学問的な慣行や出版のシステムとはまったく無縁の才能が、インターネットの出現により、水を得た魚のようにその成果を公にしはじめる?うーん、なんかみんな同じような感じになってきているような気がするのは気のせいだろうか。けれどみかんには女性にうれしい食物繊維が含まれており、腸をきれいにしてガンも予防してくれる。偏食してよかった。
12/17 選挙と戦争
今人々が求めているのは、知識ではなく智恵のほうだろう。ものごとをどう判断したらいいのか(どうとらえたらいいのか)、どう決断したらいいのかという智恵だ。実践で使える智恵を欲しているのだ。twitterを見ていると痛いほどわかる。何か事件や出来事があれば、まずは様子見をする。皆がどのような反応を示しているのかを確認して、自分の振る舞いを決める。その後、偉い批評家や文化人が『みんなとは違うこと』を言えば、「あー良かった、こう言ってもいいんだ」といっていそいそと『みんなとは違うこと』をツイートする。選挙当日もそうだった。投票しない奴はクソ、という雰囲気(選挙に行かない彼氏と付き合ってはいけないと言う彼氏とは絶対付き合ってはいけないと思う)が強まり、まるで戦時中みたいだった。投票すればみんなの仲間に入れる、いじめられないグループに入れる、みたいな。ビクビクしながら「選挙行ってきた」とツイートし「よかったぼくはここにいてもいいんだ」を求める人々。お国のために死ななきゃいけない戦争の空気ってこういうのだったのかということを知ることができた。教科書でしか知らなかったけど実際に経験できました。排外主義ってやつを。クソですね。でもみかんのミネラルは血液を弱アルカリに保ち、クエン酸は疲労回復に役立つけどね。偏食してよかった。
ここでみなさんに、
みかんを食べるにあたって重要なたった1つのポイントを教えたい。
みかんには水分が含まれており、食べ過ぎると風邪をひく。
これを見ているあなたは、どうか風邪をひいた私にみかんを送ってほしい。
そしてどうか、この危機的状況を拡散してほしい。
それが私の、最後の願いです。
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この記事は 拡散お願いしますアドベントカレンダー2012 18日目の記事です。
明日は@uiureoさんです。