これからの時代、IT系の人間はプログラミング技術だけじゃなくてもっと人間について考えるべきだよねって話。
webサービスつくりたいみんなあつまれー!
もくじ
- 「名札をつけた僕たちは」
- 「ともだちとはなんだったのか」
- 「インターネットも現実だ」
- 「僕はここにいてもいいんだ」
- 「私はこういう人間です」
- 「ねえみんな、」
- 「それはね、」
- 「まとめ」
- 「どうせ見てくれないし」
- 「もしかしたら、きっと」
- 「ソーシャルは戦場だ」
- 「世界線を越えて」
- 「僕が思うんならそうなんだ、僕の中では」
- 「あの人の隣にいたい」
- 「思っただけだよ」
- 「またね~」
ここから下は、「ソーシャルメディアが世界を救うんだ!」とか「情報化社会がやってきて俺たちの社会が変わる!」みたいな頭の悪そうな人が引っ掛かりそうな世迷いごとじゃなくて、
純粋にTwitterのシステムと「人間の心の動き」について、話していくね。
ちょっとだけ難しい言い回しが出てきちゃうかもしれないけど、第二のザッカーバーグになりたいインターネットが大好きなみんなだったら、きっと大丈夫だよね。
1、「名札をつけた僕たちは」
twitterって、アイコンとか ID とか、「自分」を形作って他人に提示し続けることを必要とするウェブサービスだよね。
ツイッターを実名で登録するユーザーって、「インターネットで実名を出すなんてあぶないよ!」っていう昔のネット観からすれば、びっくりするほど多い。
「もしかして、Twitterと”リアル”って繋がりやすいんじゃね?」って気付いた人たちは、今まで禁忌とされてきた個人情報をあえて公開して、現実の人間関係の拡大を狙ったりしてる。
こういうユーザー、みんなもけっこう見かけるよね。
2、「ともだちとはなんだったのか」
出会い厨は死ねって?一度オフで会ったら次からはともだちだよ。
たまたま最初に出会った場所がネットってだけで、そんなに悪いことじゃないと思うんだけど、みんなはどう思う?
悪い人には注意しないといけないけどね。えっちなのはいけないと思います。
3、「インターネットも現実だ」
プロフィールに学校名を書いたり、自分の職種を書いたりすれば、同じようなユーザーに補足されやすかったり、コミュニケーションが加速したりする。
そういう工夫を、ユーザーのみんなは自然と学習していったと思うんだ。
Twitterって、日常的な、実際に相手を目の前に会話する、「対面的な現実(”リアル”って言ったほうがいいかな?)」との緩やかな連動性が、とっても大きいメディア。
「Twitterは、対面的現実と相反せずに、そして、人々をコミュニケーション辺重主義に巻き込むサービス」なんじゃないかなーって、いつも思うんだよね。
これを読んでいるのは、タイムラインを毎日虚ろな目で眺め続けて人生の貴重な時間をドブに捨ててる人たちだと思うから、Twitterのいろんな機能についての説明はやめとくね。
4,「僕はここにいてもいいんだ」
自分が他人にフォローされたり、自分のツイートに対して、reply、RT、そしてfavoriteされるっていうのは、まさに「他者からの自己肯定」そのものだよね。
「みんなに見てもらいたい!認めてもらいたい!」みたいな気持ちって、人間だったら誰でも持ってる欲望だと思うんだけど、みんなはどうかな?
自己承認欲求に取り憑かれたコミュニケーションキチガイのみんなだったら、きっと納得してくれると思うんだよね。
これを読んでいるのは、「大学でひとりぼっちでも、Twitterのみんながいるからさみしくないよ」とか思いながら人生の貴重な青春時代をドブに捨ててる人たちだと思うから、人間の欲求についての詳しい説明はやめとくね。
5、「私はこういう人間です」
喉から手が出るほど承認を求めている私たちにとって、まるでやさしいお姉さんみたいに自分を見つめ、承認し、肯定し、甘やかしてくれる他者を「フォロワー」として所有させてくれる、そして発言に対するフィードバックを得ることができる、Twitterの素敵なシステム。
最高だよね。
これって、メディアを媒介としたコミュニケーションにおいて、まさに、自分を他人の前で発表すること、つまり「自己呈示」を加速させる環境だと思うんだ。
かっこいい言葉で言うと、「セルフブランディング」ってやつかな。
ギークになりたい人は「ニャ~ン」とツイートしたりね。何がニャ~ンですか、恥を知りなさい!
「みんなもっと私を見て!」「ほらほら、どんどんおもしろいこと言っちゃうぞ?」「私はこんなにすごいんだぞ!」ってアピールして、フォロワーを増やそうとしたり、ふぁぼをたくさんもらおうとしたりする、twitterユーザー。
6、「ねえみんな、」
なんでそんなに一生懸命キーボードを叩いてるの?
なんでそんなに一生懸命みんなにふぁぼを振りまいてるの?
なんでそんなに一生懸命タイムラインを見てるの?
なんでそんなに一生懸命Twitterしてるの?
7、「それはね、」
だって、自分が他人から注目されてるのって、すごい気持ちいいから。
だって、自分が他人から認められるのって、すごい気持ちいいから。
だって、自分が他人に注目されるためなら、なんだってするから。
だって、自分が他人に認められるためなら、なんだってするから。
だって、他人を注目するのって、楽しいから。
だって、他人を評価するのって、楽しいから。
だって、みんなでつながっていられるのが、心地いいから。
だって、Twitterが、自分の存在を認めてくれる、安心できる場所だから。
まるで露出狂みたいだね、お互いに見られて興奮してるなんて。Twitterユーザーは変態さんの集まりなのかな?
8、「まとめ」
twitterでは、自らが他者を「一般的信頼」の元1つのラインに集め、
1)同じ時間を共有している”ように見える”「擬似・同期性」、あるいは
2)純粋に時間をリアルタイムで共有している「純粋・同期性」のもと、
自己と共に他者の存在を閲覧し、そこに向かって発言を投げかけることのできる(そしてその結果、リプライ、ふぁぼ、RT、さらに”自分はまだフォローされている”という実感によって、他者からの「一般的信頼」を獲得できているという実感を得ることのできる)タイムラインというシステムを持っている。
緩やかで、それでいてつかず離れずの「親密な他人」(上記の通り、多かれ少なかれ「信頼している/されている」ユーザー)をお互いに所有することによって生まれる、「自分の発言を誰かが見ている」という実感は、
1)人間が持つ自己顕示欲や、
2)他者からの承認欲求、
3)そしてそういった承認を継続的に受け取ることができる場所に浸かる喜び、つまりある種の安全欲求
など、さまざまな欲望を、じゅうぶん満たしうるであろう。
お手軽に欲望が満たされるなんて、とっても素敵だよね。
ねえねえ、君もTwitterやってみようよ!大丈夫!怖くないよ。タダで始められるし、無料なんだよ!やると頭も良くなるし、スッキリするし、みんなやってるよ?大丈夫大丈夫、戸惑うのは最初だけだから。もし合わなかったらすぐやめられるし。とりあえずやってみよ?ね?教えてあげるよ?
9、「どうせ見てくれないし」
昔のブログ・ブームのときは、「せっかく自分が記事をブログで書いたのに、閲覧者やコメントがゼロに等しい。これじゃただの日記帳と変わらないじゃないか!何が誰でも見れるインターネットだ、どんなに更新しても、俺のブログは無視されるじゃないか!」みたいな不満や問題って、多かったよね。
でも、Twitterの書き込みはみんなが見てくれて、反応してくれる。それは何故かって?
もちろん、お互いにフォローして、RSS形式みたいに発言が流れてくるからっていうのは当たり前だよね。
10、「もしかしたら、きっと」
でももう一つ、大事な所がある気がするんだ。
例えば、「相手をフォローすれば、自分もフォローしてもらえるかもしれないってこと」。
例えば、「相手をふぁぼれば、自分もふぁぼってもらえるかもしれないってこと」。
例えば、「相手にリプライすれば、自分にもリプライを送ってもらえるかもしれないってこと」。
それはつまり、「相手の承認欲求を満たしてやれば、自分の承認欲求を満たしてくれるかもしれないってこと」。
相手の存在を認めることによって、自分の存在が担保されるんだよね。
Twitterユーザーたちは、お互いに依存関係にあるだと思うんだ。
それが、Follow/Followerって2つの数字の秘密。相互フォローとか、まさにこのことだよね。
「相互フォローは絶対です!」っていうのはどうかと思うけど、みんな、口にして言わないだけで、「せっかく釣れた魚、逃さないようにしないと」って思ってリフォローする人たちばっかだよ。
みんな、自分を見てくれる人は大切にするんだね。
11、「ソーシャルは戦場だ」
1)IDという個をそれぞれ持ち
2)時間を共有し
3)お互いにメッセージを送って(コミュニケーションして)存在と承認を確認し合う。
付かず離れずかといって、見せかけ嘘つきなんちゃって、本音と建前「信頼関係」。
ソーシャルって大変だね、明日はもーっと、大変になるよね、ハム太郎?
12、「世界線を越えて」
もちろん、正確に言えば、純粋同期に限りなく近い「擬似・同期」って、みせかけのリアルタイムだよね。
たとえ同じタイムラインに並んでいても、あの人の「サンドイッチなう」と、自分の「ハンバーガーなう」は一緒のタイミングだって保証はない。
フォロワー数が少なければ、リアルタイム性が薄まるのはしょうがない。
もちろんこれは、いま・ここで他者とコミュニケーションしているんだ!って錯覚を、TwitterのUIによって演出されてるだけ、とも言える。
相手が必ずしも、自分の発言を同じ時間に、同じタイミングで見るとは限らないし、
その上、他の発言に流されてしまって、自分の発言は読まれていないという可能性も大いにありうる。
13、「僕が思うんならそうなんだ、僕の中では」
でもね、そうじゃないんだ。
あくまで重要なのは、「読まれているかもしれない」という主観的実感。
そこにある客観的現実は、私たちユーザー自身にとって大きな問題ではないんだ。
見られてるかも!読まれてるかも!って感覚が全て。些末な「事実」なんてどうでもいい。
自分が楽しければ、事実がどうであれ、そんなのぜんぜん気にしない。
それが私たちでしょ?インターネットが大好きなみなさん。
14、「あの人の隣にいたい」
視覚的な、デザイン設計の話。
時間の流れの上で「個人」の欲求の足あとや残りかすが大量に生まれ、そして消えていくタイムラインという設計は、
自分の発言が他者の発言の隣に現れること、つまり自己と他者が同じ「社会」・「空間」に並んで存在するといった実感を醸成させると思うんだ。
あの人と自分は、同じ時間を共有している。
あの人と自分は、同じタイムラインという場所を共有している。
自分のツイートがタイムラインに発信されたとき、そういう実感を引き起こす効果が、Twitterにはあると思うんだよね。
15、「思っただけだよ」
もちろん、ここで話した内容は、あくまでも「意見」にすぎないよ。
科学的な、統計的なデータがあるわけでもない。ごめんね。
ものの見方は、それこそ無限にあるからね。これはあくまでもひとつの「見方」。twitterはいろんな使い方ができるしね。
でも、人間の気持ちって、こうやってちょっとずつ想像していくしかないと思うんだけど、みんなはどう思う?
「ユーザーの気持ちになって考える」って言うのは簡単だけど、使いやすさとか見やすさの(ユーザビリティテスト)だけで満足しちゃってるのなら、「気持ちになって考える」には視点が足らなすぎると思うんだけど、どう思う?
私たちはそんなにも「使いやすくて」「わかりやすくて」「便利な」ものを求めてるかな?
もちろんそれも大切だけど、こういう風にも言えないかな?
私たちがほしいのは、「楽しいこと」。
楽しさっていうのは、なかなか数字にできないよね。
そういう人間的な「楽しさ」は、こうやって少しずつ想像していくしかないと思うんだ。
インターネットの敷居が下がって、ネットが「パソコンオタク」だけのものじゃなくなった今の時代。
便利なものよりも、「楽しいもの」を求めるようになるのは、肌感覚でわかるよね。おもしろアプリとか、くだらないけど、やっぱり楽しい。
twitterをやってるみんなだったら、よくわかると思うんだ。
だってtwitterって、「やらなくてもいい」「無駄で」「どうしようのない」「使いにくい」ものだよね?
情報収集するにはノイズが多いし、140文字しか書けないし。
でも、”それがいい”。それが”楽しい”。
もっともっと、楽しいものを!
もっともっと、楽しいインターネットを!
私たちが求めてるのはそういう人間的な「楽しい」こと。
16、「またね~」
もしかして、みんな流し読みしてるかな?難しかったかな?つまらなかったかな?
それともみんな、記事全体の流れなんかは全く無視して、Tumblrに引用できるようなおもしろセンテンスを探すことに躍起になってるのかな?
ドギツイ味付けをしないと読まないくせに、丁寧に解説しすぎると「もっと簡単に書ける」って文句言ったりするのかな?
文章力、文章力が大事だったよね。くすくす。
インターネットのみんなって、本当におもしろいね。インターネットってほんとに楽しいな。
じょうだんはさておき、ここからが本番だよ。今までは前哨戦。
次回はTwitterのUI設計から生まれるコミュニケーションの認識とか、新しいウェブサービスとTwitterの関係とか、
インターネットが大好きな「未来のザッカーバーグ」たちに向けた具体的なことについて、話していきたいな。
「ザッカーバーグになりたい奴はもっと人間のことを考えろ2」は、明日、投稿するね。
みんなでインターネットをたのしもう!
twitter @itopoid もよろしくね。みんなとたのしくtwitterしたいな。
追記:続きはこちら! ザッカーバーグになりたい奴は人間のことをもっと考えろ2